#15 心が満たされた夜、そして夫の隣で眠る

一度、触れ合ってしまうと、ブレーキはきかなかった。

どちらからともなく、何度も唇を重ねた。

さっきまでの逡巡を振り払って、わたしはただ “今” を求めた。

繰り返す優しいキスに胸がいっぱいになる。嬉しくて、あたたかくて、そして悲しかった。

これが、あの頃のわたしたちだったら――。

また田下くんとの思い出が、頭の中に映し出される。あの頃だったらよかったのに。

ずっと曖昧なままだった二人の関係が動き出すには、遅かった。

それでも、わたしにはもう止めることができなかった。

カラオケを出たあと、わたしたちは田下くんの家へ向かった。

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田下くんの家へ

この先に進むことをお互い考えていたのか、このときのわたし自身の気持ちも思い出せない。

まだ一緒にいたくて、離れたくなくて、ただそれだけだったような気がする。

夜風に当たりながら歩いているうちに、自然といつもの二人に戻っていった。軽口をたたいて、笑い合った。

だけど、繋いだ手と、ときどき触れる肩に、わたしたちの距離が今までとは違うことを感じていた。


その夜、わたしたちがそれ以上先に進むことはなかった。

優しく、強く抱きしめられるだけで、心は満たされていった。

夫が眠る家に帰った

田下くんの家を出たのは、もう深夜だった。

夫が起きていませんようにと祈りながら自宅に戻ると、家はまっくらでわたしはほっとした。

静かにシャワーを浴びて、寝室へ向かう。

眠っている夫を起こさないようにベッドに潜り込み、夫に背を向けた。

いつもと同じ寝室。いつもと同じベッド。隣には、いつもと同じように夫が眠っている。

何も変わっていないはずなのに、わたしだけが数時間前までとは違っていた。

「キスしてもいいですか」田下くんの言葉がまるで映画のワンシーンのように、現実からは遠くに思い出される。

求められて、抱きしめられて、キスをした。

田下くんの腕も、胸のあたたかさも、唇の感触も、愛おしいあの時間を忘れたくなくて、何度も何度も思い返していた。

既婚者としてやってはいけないことをした。

だけど、このときのわたしにあったのは、罪悪感よりもずっと大きな幸福感だった。

夫に背を向けたまま目を閉じる。

いつもと同じこの部屋で、いつもの寂しさはなかった。

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